そこは彼となし

日記のようなもの

今の生活と改善②

 

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この疑問は「社会的な動物としての人間」か「貨幣経済」,「貨幣の価値」に分類されるような気がする。大きく見ると「生きる」ことになるけれど、身近に置くと「生活をする」というのに分されると思う。

 

生活をするために働いて生活をしてまた働いて...と延々死ぬまでやり続けることが生きることなんだろうか。

疲れた顔どころでなく無表情な顔をして働くカフェのお姉さんや熱があるのに代わりの人がいないからと出勤してきた昨日の相方さんなどを見るとよくわからなくなる。

 

お金を稼ぐ前に、お金を使って交換するものは本来自分でも作れるものというのが結構あることをよく忘れている。

前々から気にしていることだけれど、それは時間とお金の交換でどちらに比重があるかという問題で今の社会はお金に比重を置きすぎている気がする。

私は今、週4でバイトをしていて他の社会人の人たちに比べると少ないけれど、それでも労働量が自分の体力に合っていないために回復するのに休みが潰れるし、自分の勉強したいことを勉強する時間も減ってしまうし、何より生活を保つまたは改善するための気力が出ない。

 

 

例えば今、一ヶ月稼ぐうちの半分は家賃になってる。ただ存在するだけで労働した自分の体力とか時間が自分が存在するために消えていくって何だか相当な矛盾でしか無いような気がしてならない。絶対縄文時代の暮らししていた方がいいだろ、とか思い始めて、突き詰めると根暗精神のおかげで、存在したくない...と思い始める。

 

それでも存在してなきゃならないので何か方法を考えないといけない。

とりあえず、家賃を減らすためと聴力過敏の対策のために引越しを年内か年明けにしようと思う。

 

あと、先の矛盾を解消するためにはこの遠回りな方法を変えてみる必要がある気がする。もっと直接的な方法が必要ということなんだけれど、縄文時代の暮らしをした方がいいと思うのはそれが直接的な方法だから。生きるために行なっていることがお金を介さずに直接自分の生活に繋がっているような生活をすればいいんじゃないかな、と思う。

あとは、お金自体の実態を失くして例えばネット銀行やビットコインみたいなもので管理ができればその中で循環をすることができるのでそれも遠回りな方法を少し近道にする方法になる。

 

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今は上の中身を実際にやっていて、Amazonの定期便で一ヶ月の基本的な食料、11月は試行期間でお昼ご飯の一ヶ月分をある程度買った。

買い物に行かなきゃいけないと思うことも結構ストレスで(怠惰)、実際に買い物に行くとそれだけで疲弊するので(体力がない)、こうやって少しでも自分に合わせるような生活の仕方を工夫してやって行くのは大事だなと思った。

 

書いていて思い出したけれど、以前完全な引きこもりと化したことがあってその分ネットの繋がりが濃くなって面白かった時期があったんだけれど、そこで重度のニート予備軍と言われたのを思い出した。

それを言われた時に、どうやって生きていこうかなとぼんやりとした不安を抱いたけれど、重度のニート予備軍なりにできる生き方があるみたいだよ。

 

そういう生き方を推奨している社会哲学者の人がいた気がしたんだけれど名前を忘れた。

 

最近は、早く諸々の書面上の手続きがネット上でできるようにならないかなということと、クレジットカードとデビットカードを持っていれば外に出ても大丈夫みたいな身軽さが欲しいなとか思ってる。