そこは彼となし

日記のようなもの

 

数年前に飽かずに聴いていた曲のメロディがふと頭の中に流れてきたので数年ぶりに聴いていた。

不思議なことで、忘れていた歌詞なども曲に乗せると思い出した。

曲の雰囲気は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のタイトルに似ている。

 

 

ここ数日ほどもうだめだという感じが漂っているしそういう感じしかない。

そんな時は一日中引きこもっている。

一週間分の家事を適当に消化しつつ消化してると体力がなくなってくるので横になる。

 

 

 

コンビニで働いて廃棄をもらうことがあって食べるけれどあまりおいしくない。

セブンのパン類はそもそもあまりおいしくないというのもあるけれど、何だか簡素というか空疎というか味も香りもしないのだ。

たぶん心が無いからなんだろうなあ、とぼんやりと思った。

 

金子みすゞさんの詩を時々どこかで見る。

あの人の詩は生死とその循環をすごく真っ直ぐに見つめていて、それでいて深い悲しみとやるせなさみたいなものを感じる。

 

そしてキノの旅を見た。

これは単にキノの旅が好きなのと今期で再登場したので2003年のキノの旅を見たかったから見始めた。

最初の方の話で、キノは撃ち殺した兎に捌く前に跪いて黙祷を捧げた。

キノの旅宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を参考にしているらしい。

 

コンビニでご飯を買って食べているとよく以前まで絶対に言っていた「いただきます」をなぜだかいい忘れてしまう。

何かの命をもらって自分を生かしてもらっていることをついと忘れてしまう。

そんな悲しいことってあるだろうか。

 

 

 

自分は生きるのがとても下手な人間だと思っているけれど、それでも生きなきゃいけないのであれば所作を大切にしたいと思っている。

祈りのような気持ちが行為に現れるというのは、その人の中の神さまに出会うような感じだ。

祈りみたいなものでなくとも、ただの心でもいい。

そして所作は、時間を大切にすることと同じことでもある。

 

 

自分の体を少し大切にしなさいと注意を受けた。

そこらかしこから痛みが出て、何だかそういえば立つのが辛いなというところまできてやっと休まないといけないということに気づくのを止めよう。

 

費用もかさむしどうしようか悩んでいたけれど、どちらにせよ大した金額の差が無いことがわかったので、費用を整え次第、自分の生活環境を少しずつ整えていこうと決めた。

とりあえず来年までにバイトのシフトを一つ減らすことができればいいな。