そこは彼となし

日記のようなもの

 

何だか最近の更新頻度が高いのは、とりあえず何でもいいから頭の中から考えている事柄を取り出して置かないといっぱいいっぱいになってしまうからな気がする。

 

 

父の記録を文字起こししていると、誰かが書いたものを再び自分が書くというのは、文字を書くというよりも描写、絵を描いているようなことに近いなと思った。自分の思考を離れて一人で立つことのできる文章の姿を写し取っているように。

 

 

最近音のストレスがやばすぎて体の不調が日に日に増している気がした。

ずっと続いている目眩も時々酷くなってバイト中倒れないようにどこかに掴まっているような程度になってきていた。

どうしてこんなに音の多い世界で生きれるんだろうとすごく不思議でならないけれど、育ってきた環境というのはほんと今の今まで深く影響するのだな。

 

前々の家で、テレビがつきながら風に揺れて窓にかすれる木の葉の音や冷蔵庫の起動音、朝外に出た時には隣町の電車の走る音が聞こえた。

それを家の人に言うと決まってそんなの聞こえない、と言われた。絶対に鳴ってるからもっと近づいて見て、と言ってやっと聞こえる、と言った。テレビが嫌いなのは誰かがテレビの音量を調節したものは大きすぎて頭が痛くなることも起因している気がする。

 

 

ここは少し音が多すぎる。音だって情報の一つだから頭の中が情報で溢れかえる。そうすると思考ができなく鳴って少しパニックになる。

もう少し静かな場所に行かなきゃならない。

行って見ないとわからないことの方がいいから、こうして京都に来ただけでもよかったけれど、次はその場所の中でまた適している場所を見つける番だ。

 

窓にかすれる木の葉の音は気になるけれど心地よさが混じっている。

けれど夜が更けても道路を走り抜ける車の音などはどうも心地よさよりも静かな眠りを妨げるだけのものに思える。

 

 

きちんとたった一つの音でも聞いていたい。そうなると多すぎて大きすぎると駄目なんだ。

蛙の飛び込む水の音が聞こえる程度、静かな場所にいるのが一番身に合っている。