そこは彼となし

日記のようなもの

前髪を切った

 

前髪は何度切っても真っ直ぐにならない。

 

部屋を移してから片付けが進まない。片付けをする体力が残っていないまま日が過ぎていってしまっている。

Amazonの定期便を使ったりして、かなり食費がいい感じになっているような気がするんだけれど、バイトがある日はどうしても時間帯的に家でご飯が食べれない。

何も食べずにバイトへ行く手もあるんだけれどもかなり激務な時が多いので、食べずに行くと多分倒れる。なのでどうしてもとりあえず何かお腹に入れておこうとなってしまって、そういう時のご飯はいつも吐きそうになりながら食べてる。

基本的に自分がお腹すいたな、ご飯食べたいな、と思わないとご飯を食べないので無理に食べるご飯というのは体が拒絶する。

学校に通っていた時もそういうご飯を食べ続けていたから、時間に縛られる生活を極力避けたい。バイトも本当に3月いっぱいで辞めれるといいなあ。

 

来年の3月に予定している引越しは、自分の自分の身の置き所を変えたいからするつもりで、もう少し学びやすい環境を近くに置きたいと思っている。

京都に来ただけでもかなり近づいたんだけれど、ある一定の距離から離れてしまうとその後どれほど離れていようが近かろうがあまり関係ない心理的な距離見たいなものがあって、アクセスしにくくなってしまう。

そこでもう一歩踏み込もうという感じ。

 

3月で引越しだとちょうど京都に来てから1年とかになるので、1年前の記録などを読みつつ年末年始でこの先を考えてみようかな。

 

 

 

早く歳をとりたいと数年前からずっと思っていた。それは思春期とか多感な時期とかそういう中にいるときの不安などを包み込めるくらいの懐が歳をとれば身についているように思えたからだった。

最近ぽつぽつ30代の方に会うことが多くなって、あの年代は歳からくる安定感とその前の年代の若さの両方を兼ね備えていて面白いなと思った。

 

 

 

 

京都に来る前に先生にお会いして、こう言ってもらってから最近やっと自分がやろうとしていることに手をつけ始めれるようになって来た気がした。

結構せっかちなのかな、と思ったりする。そんなすぐにはできないことなのだから数年、数十年単位で見据えておくべきなんだろう。

 

 

 

切り捨てるような感覚と、丁寧に扱う感覚の両方が生活の中に共存している。

生まれた時からすでに余生が始まっているのなら、本当に私は時間を大切にしていたい。

もう少しうまくできたらいいんだけれど、それはこれからまた練習していけばいいことだ。