そこは彼となし

日記のようなもの

 

少しだけ気が楽になっている。

春秋恒例、扁桃炎開催中。

 

 

10年程前に買ってもらった一冊の水中写真集を見ていた。

弱り果てた蟹がその場で死んで、バクテリアによって分解されていく様子を写した3枚の写真がその中にある。

10年程前の自分はこれになりたいとか思って付箋を貼っていたので、今と大して変わらない思考回路してるなと思った。

 

亡骸を集めていた時点でもうこういう思考はついて離れないものになっているのだと思う。

 

 

ほぼ余生みたいなもんだな、とふと思った。

余生というとおじいちゃんおばあちゃんの年齢からというイメージがあるけれど、それは今までの定年まで働いてその老後を云々みたいな人生が通用していたからついたイメージであって結局のところ、生まれてきたら既に余生が始まっている。

 

そうして、まだ若いのに亡くなるなんてというけれど、そんなの何歳で亡くなろうと変わらない。時間はもはや平等ではありえないのだから何歳で死んだとしても今という時間があるだけでその過去と未来は関係し合うだけで存在していたか存在するのかはもうその時には問題にならない。

 

問題になるのならそれは感情とか記憶とか、そういうことになってくるんだろう。

 

 

こんなことを考えているのが日常にありふれているのでもはや、こんなことを考えていることを愉しんでみればいいんじゃないかと思った。

とことんまで思考して、何かでかためていくような感じで。

 

数学が好きになったのは、厳密な理論で組み立てたものであれこれと自在に操作することができるのがとても面白いと思ったからだった。

そもそも厳密な理論がすごく好きなのかもしれない。

細部まで滞りなく突き詰められたものを読んでいるのはとても楽しい。

 

だから、そんな感じでどこまでか思考で突き詰めていけばいいのだと思う。

そして何かを積み上げていって、それが何になるかは知らないけれど、過程であれ糧になっているのならそれでいいんじゃないかと思う。

 

 

転出届が届いたので来週あたりにこちらの住民票に移せそう。