そこは彼となし

日記のようなもの

 

深芽さんなんか、島生活とか合いそうだよと言われてそうかしら、と思う。

 

のんびりとした生活を送ることができれば、この難癖が治るとは思えない。

家庭的に裕福であったとしても、友人に恵まれていたとしても、どうあっても疑問は残り続ける様な気がしてならない。

そもそも疑問を抱いた時点でだめだなあとか思うので、その点についてだけは環境に左右されないらしく、それはそれでアイデンティティ的な何かを守ることができる一つの種にはなりそうだ。

 

場所を選ばない存在というか、存在自体がその存在を担保しているようなそんな感じで

 

 

相変わらず自分が何を言っているのかよくわかっていない。

 

 

 

 

谷川俊太郎さんが結婚式よりも葬式の方がいいとおっしゃっていたのに同意した。

けれど葬式も、ただの形式であって本当の弔いではないでしょう。

皆、何かを演じていると葬式中に思って、不謹慎にも可笑しく思ってしまったのだからもう何とも

 

 

それよりか宮沢賢治銀河鉄道の夜はもう少ししっくりくる。

 

 

原文ちょっと違っていたよう

 

死とは自然の摂理に身をゆだねることです

 

でした。

 

これは神谷先生の言葉、先生のレンズのフィルタは鮮やかだしとても綺麗。

そう周りからは見えるだけなのかもしれないけれど、紡ぐ言葉からはそう見える。

たとえ悪魔を飼っていたとしてもそれはフィルタの反映にあまり影響しない方なのかな、とか思ったり。

不勉強。

 

 

最近は、実際に飽食であると並んで学ぶことに貪食になっている。なっているんじゃなくて、その意識があるだけで現実は飢えている。

 

吐きそうになりながら食べ物を食べている時に、本当に食べたいものを考える。

そうして今食べているものは食べたいものではないなと思いながら食べる。

もう食べたくないなと思いながらものを口に運ぶのは、自分でやっておきながらこれこそ滑稽と呼べるのかなとか思いながら吐きそうになりつつ食べる。

 

 

 

 

どちらのバイト先でも恋とか彼氏彼女の話が飛んでくる。

誰かと恋愛関係を持つというのは私の中で無いに等しい、私なんぞと一緒にいたらきっとだめになってしまうと何となく思う。

自分はひとりでいた方がその誰かも私も楽だと思うし、実際そうであったでしょう。

 

あるおばあちゃんから女は連れ合いを見つけたら幸せよ、と言われた。

なら私は一生幸せになれないなあ、とか心の中で苦笑した

 

染色体のXYは性別に関係ないらしいよ

 

男でも女でもどちらでもいいから人間は嫌ね