そこは彼となし

日記のようなもの

夜空にひかる星のはなし

 

存在について考えていた。知覚をしなければ存在はないに等しい。存在することということが、一体全体どういうことなのかがわからなくなって時々堪らなくどういうことなのかを突き止めてみたくなる。けれどもその術を知らないので考えるだけに終わる。

 

もし私という存在は周りの認識からできあがっていたとしたら、私は自己というのを持っておらず、私が私だと認識するということは(アイデンティティを作るには)私は私に対して他者でないといけない。私をいくら他者の私と切り離そうとしても、とてもむつかしくてできそうにない。自己とか主体とかを考えた時、何かを思った、としたらそれを思ったのが私であるから、もし他者の私を考えるとしたらそれはそう思った後の私なのだろう。そうするとそれは時間でつながっていることになって、そしてそれは切って離すことがむつかしい。時間を区切ることはできても完全に切ることはできない。

 

存在というものはそもそも区別であって、それがそれと区切らばければ存在もなにもそもそもが全て存在しているというのはどうだろう、と考えた。言葉によって区別されて存在としてあるのだとすれば、「私」というのが私になるのだろうか。それでも「私」と言った場合には私ではない誰かについて私と言っているのかもしれないので、うまくいかない。

 

色々と考えて存在を定めているのはひとつじゃないということを思いついた。認識でも言葉でも私自身でも、私が認識できる情報と私が認識していない情報全てが私の存在を定めているとしたら、それはちょっと面白いかもしれない。

 

そうすると何だろう、情報が存在を定めているんだろうかな。でもどうだろう、情報の受け取り方というのは認識であるし実際のところ言葉というのもそれぞれの語感によって定まらない。

 

認識とか認知とか、言葉などは存在との関わりで興味がある。

 

 

夜空に浮かぶ星座についてあれはなになにだ、と言った時、誰かはいくつかの星を想像した線でつないだものを星座だと思ったし、また誰かはある区間を星座だと思って、遥か遠くでなになにだと聞いた者はそれは何だ?と思ったりした。