そこは彼となし

日記のようなもの

 

声が出なくなっていたことだ。人が怖くて誰とも関わりたくなくなっていたことだ。誰も信用してはいけないと信じていたことだ。

 

聞く音は大きすぎるのに声は出ない。お腹はずっと痛い。まっすぐに歩くことができない。吐き気がするし色はない、味を感じない、何も面白くないし悲しいとか辛いとかを感じたくないとずっと思っていた時のことだ。

 

練習,訓練をして人と話すことに恐怖心が薄くなって、もうだいぶいいだろうと思っていたけれど、本当にそれまででいいのだろうか。

 

 

望んでいるのにできなくて、それでも周りは難なく進んで行ってしまうのでどうして自分はラインに立つことすらできないんだろうと思っていた時のことだ。

 

生まれた環境ですでに崩れていたものを直すには私は何もできなさ過ぎたしおそらく何かを持っていたとしても難しかったかもしれない。

 

周りから言われる普通というのは、とてもハードルが高過ぎた。

 

どうにか乗り越えたいと思って足掻いていた時のことを思い出したい。

 

 

何度も死んでおけばよかったと思ったあの瞬間の時のことをもっとしっかりと見たい。

 

 

私はどうであったのだろうかということ、何を望んでいたのかということをもう一度見たい。

なぜそんなに必死だったのかというのは学びたかったからに尽きる。それは十分にわかっているから大丈夫。それ以外のことだ。

 

なんでそんなにみんな普通に生きれるのかとても疑問に思っていたことだ。

私はそんなふうに楽しんだり笑ったりすることができない。あってもいいことだと言われるとなくてもいいことだと思ってしまう。

大切にしろと言われても不要だと思えば大切にするのが面倒になる。

惰性か妥協かそんな中で生きているのは嫌だと思っていたのに、そんな中で生きることが大変楽であったので、甘んじていた。

 

 

何でそんなに必死だったのか、は学びたいからで、毎年試験が近づくと普通に乗れないことに気づいてその度にもう無理だと思って、翌年、それでも学びたいからどうにか乗れないか足掻いていた時のことを見直したい。

 

羨ましい,ずるいとずっと思っていたこと、少なからず今でも思っている。

 

変えたいな、と思ったんだったな。

そのために何をすべきか、というのが本来だろう。

それなら必死になっていないとおかしな話だ。私は今の生活をすることでいっぱいになっていることに本当にただ甘んじているだけだ。