そこは彼となし

日記のようなもの

Tumblr で使用していたデザインが少し変わってしまったので、またこちらに戻ってきた。

 

父が亡くなってから何だか一日の区切りがないような日々を過ごしているような気がする。いつの間にか七月に入って、いつの間にか二週間以上経っている。

 

まだ死という状態が不思議な感覚だ。私は今生きているのに父は死んでいる、その状態がとても不思議だ。やはり生きている方が不思議なのかもしれない。そうやって生命が保つように機能していることが不思議なのかもしれない。父だって生命を保てるような身体であれば当たり前なのだけども生きていたのだから。生命としての機能が失われた時に、記憶や精神といったものも消えていってしまうのが少し寂しい。

 

そして最近特に、最後がどうだったのかを知ることができないのが何とも感情のやり場がなく、困っている。

交通事故で即死と伝えられ、事故状況も警察から説明されたが、父が見た景色を知ることができない。(少しだけ知ることができる望みがあるのは幸いかもしれない)

 

荷物の整理をしていて昔の写真が出てくると、写真の撮り方があまり変わっていないのが面白い。父の感情がそこに入っているのがひしひしと伝わってくる撮り方をする。

「お!!」とか言いながら撮ってたんだろうなとか思いながら見ていると涙が出てくる。

最近の荷物整理はずっと泣きながらやっているので顔の腫れが引かない。涙腺が弱いので一度崩壊するとずっと泣いてばかりだ。感情に浸るというより、とにかく泣いて発散したいという感じだ。

 

父のことはそんな感じで、最近は自分の時間が増えたお陰でプログラミングに進捗があった。とりあえずコードを打ち込んでみようという方針から体系的に学んでいく方針に偶然なって、そうした途端にすんなり入り始めた。とことん理論で理解していく方が自分には向いているみたいだった。

数学からも見てみたいなと思って、結城先生の『プログラマの数学』を買った。二,三日後には届くはずなのでとても楽しみ。

 

そういえば最近、興味の一つが生物学に向いている。

 

先の生命を維持することや生と死、そして老いること、最近みた中では外界と内を隔てる役割をする「膜」がとても興味深い。

 

膜に関してはこの前読んでいたものに途中、トポロジーが出てきたりしていて、また積読になってしまっている本を読まないといけないなと思った。理解した感覚を思い出してから読んだ方が理解が進むだろう。

 

あとは部屋に戻ったらラテン語もまた再開したい。あれも途中で止まっている。

 

数学の中での自分の興味もどこにいちばんあるのかも今日調べていた中で発見することができた。

せっかく学びに没頭できる時間を使うなら、その方向性をしっかりと見定めておきたい。とにかく楽しむのだ。