そこは彼となし

日記のようなもの

圧倒的な出力不足


ふと、論文を定期的に書いてみようかなと思った。

中々、今まで書き取ってきたことをまとめてメタ化させる行動に起こしないし、なんだかとてもものを書きたい気分になっていたので、自分に課してみようかなと思った。

論文を書くのに適したソフトはかなり前にダウンロードしていたので、今まで頭の中に漂っていた思考たちをひとつひとつ選びとってみよう。



おすすめされた本を読んでいる。以前、アイデンティティのデータ化というような内容の記事を見かけたことがあるが、それにとてもつながりがあるような気がする。

最近、金欠による生活難回避のためにpitapaが多いに活躍しているんだけれども、明細を見るといつどこでどれくらい使ったかがデータでまとめられている。わたしという人間がどのような生活をしているのかを調べる時、そのデータをもとに生活像を把握することはかなり容易であると思うし、実際にそれをやっていることもあるのかもしれない。

他人から見た自分というのは確かそうで確かでない。自分が自分を見ることで、ああ、そうだと思うアイデンティティが確かになっていくような気がする。『若き詩人への手紙』では、自らの内にお入りなさい、と言っている。

少しばかり、意識が外向きになっていたようだった。

いつだったか、多くの人と関わるようになって自分のこの内省を好む性格が変わることがあるかと聞かれた時があった。自分としては変わるなら、さらに内省することが多くなるとよいなと思った。いつなんどきでも、自分の軸とそれを貫く術を持っていたいと思うし、そして意識は内へ向けていたい。

それは先生方の言葉を信じ続けることでもある。


手元に置いておく

大学生がうらやましいなと思うことは、学問に没頭できることと、専門書をすぐ読むことができることと、学割が使えること。

お金がなくて大学へ行くことができないということをなくすことができたらなら、どれだけ学ぶたのしさを心から感じることができるだろうと思った。

うらやましがっているだけではいけないのだ。