そこは彼となし

日記のようなもの

Schatten der Wendel wird Licht.

微分にやっと少しだけ手をつけ始めることができた。勉強体力が受験勉強をしていた時に比べると愕然落ちているので、もう一度つけなおさないといけない。とは言っても、興味の赴く方向性を整えればそれ程時間がかからないような気もしている。そこらへんは楽観的に行こう。

 

それより、微分、ものすごいことなのではとやっていて思った。微分自体はニュートンが生み出し、ライプニッツが確立させたという感じのところだけどこかで読んだことがあるけれど、そのあたりもしっかり読んでみたい。

ああ、そうなると相対性理論の成り立ちあたりを読んで見たらいいかもしれないな、などと胸が躍る。ほかのどこかで、曲面の曲がり具合も微分で出すことができるらしいことを見たことがある。「曲面がそこにあるとすれば、その面の曲がり具合を知りたいと思うのは必然である」みたいなことが書かれていて笑った。確かに、めっちゃ知りたい。

 

複素数微積をやった後、念願の複素解析の勉強に進めるらしい。早く進みたい。

何もする気が起きず、とりあえずやばい。海老蔵さんの「休みになった時に果たして私は正常でいられるのか?」の正常でいられていないver.って感じでやばい。

 

もうすぐ四十九日となる。

 

ずっと死に対して何も感じないのではないかという恐怖があったというのに、むしろ死だけであったらそうであったかもしれないが、死以外のことが多過ぎた。様々な感情が頭の中でごちゃ混ぜになっており、毎日が疲れる。

 

ほぼ毎日が休みのようになっているような不安定な状態で、むしろ正常でいられるわけがないか、などと考える。

 

体重がかなり減っていた。精神ダイエットか何かかな?

 

 

あまり笑えないのでとりあえず食べなきゃと思って食べるが途中で気持ち悪くなって食べるのを止める。完全に精神的にきてるやつじゃないか。

 

 

ラーメンを食べたり水族館へ行ったりと、紛らわそうとしているがそれで根本的な解決になっていないことも重々承知している。

 

 

八月に帰った時には父の彼女さんのお見舞いに行く予定になっている。実際は不倫状態だった期間もあったりして、その間のちょめちょめにも出くわしたりしていたあの時の感覚が思い出されたりしてほんとやるせない。

 

大人でさえ自分のことしか考えていないのだから私だって自分のことだけで精一杯である。ほんとはあんまりお見舞いに行きたくない。離婚加速度を上げた一因でもある人になぜお見舞いせねばならんのか。分骨したいなら勝手にしてくれって感じである。

 

性格のよい人間を演じなければならない。いつまで保つのやら。

 

幸せに溺れられたらいいのに。

 

こんな感じで超絶ネガティブモードから抜け出せないでいる。そんな時もそんな時こそ学んだ方がいいんじゃないか、私よ。

 

何だか色々なことがやけくそになってきている。何で先に行ってしまうのかな、ずるいなと思ったりもする。もういなくなってしまえば0に等しいから少し羨ましくもある。こんなこと母に言ったら泣き出されてしまうだろうか。親不孝だな。

 

こうして書くと少し気が楽になる。見ている方は全く気分がいいものではないけれども。これも紛らわしのひとつなのだと思う。勘弁。

 

 

すいたいちゅう

相当精神が疲弊しちゃってる⭐︎

という感じで諸々のやる気が出ない。

 

やばいやつだという感じはあるので、やらねばならぬことを絞ろうと思った。

よくふらふらと数学から歴史,古典などにふらふらと足を伸ばしたりするので、来月はそういうことを減らして数学を捗らせるために分野で囲ってその中をうろちょろしようと考えた。八月中は、微積分と線形代数あたりをできればなあと思っている。

 

 

そして今月中が〆切の頼まれ事がいくつかあってまたやる気が出ない。出なさすぎだろとか愚痴を吐きつつ、やってしまえば解放されるのだからさっさとやってしまおう。

 

 

本日も、絶賛衰退中。

 

家族という形で幸せであった時をほとんど覚えていない。

単純に幸せであった時間が少なかったということもあるが、辛い,悲しいなどの記憶の方がより印象的で、それを打ち消しているところもあるかもしれない。

写真を何枚か持ってきた。そういう時間は確かにあったのだ、ということを写真の中で確認する。

 

 

考えていた通りにバイトを一つ辞めた。少しだけ気が楽になった。人と関わることを選んだのが仇になり、最後の勤務二日間はとても辛い時間を過ごした。

どこまで周知されているのかわからずない怯えがあって曖昧な対応しかできず、話題に出てくると底抜けの感覚になるので、どうにか避けようとして不自然な形になってしまった。

どうしたらいいのかがわからないまま終えてしまって、何だか中途半端で申し訳なかった。

 

もう一つの方は比較的フランクな感じで、先日挨拶に行った時もまだ落ち着かないだろうから休んでいていいよと言ってもらえて、何だかとてもありがたかった。普通に話せる環境が殊に今は、いちばん落ち着けるようだ。

 

 

夢の中で父の声を聞いた。二つ程、何か言っていたが、うれしすぎで何を言っていたのか覚えていない。

 

最後がどうであったかを知ることができない,気持ちなど文章で残っているものがないなどあって、感情のやりどころがなく何とも言えない気持ちのまま過ごしている。ネットを適当に見ていた時に、乗り越える必要はないのではないでしょうかと書いてあったのをみて、そういうものか、とまた少し落ち着いた。

 

眩暈がする頻度が少し多い。感情の浮き沈みが激しく、何だか自分でそれを面白がっているところがある。衝動的な興味によって、自分の身体が軽くなる感覚がとても不思議で面白い。そしてそれが、私がものを学んでいる理由でもあったりしたな、と思い出したりした。

 

 

祭りが多いお陰で街全体の気分が高まっている。お陰で気晴らしになっている。

歩道を歩く途中で向かいにある拝殿に拝んでいる人を見かける。人の祈りなど、目に見える形になっていることが、こういうのいいな、などと思ったりする。

白菊

一般的な(私たちが触れることのある)人間の死というのは、自然から乖離していると感じていたのがここのところ更にそれを感じるようになった。

 

お葬式に参加している時間、これは儀式である、という意識が常にあって感情が阻まれていた。何故だか不思議と儀式であることを意識すると滑稽に思えた。作り上げたところに周りが感情を乗せている。それを作り上げる人たちは演じているのだろうか、などと考えながら時間を過ごしていたので、何とも不謹慎だろうか。

 

また納骨されない骨はどこへ行くのだろうかとも思った。どこかの畑か何かの土地に埋められるのだろうか。そんなことを考えながら納骨をしていたのもまた、不謹慎か。

 

「死んだことに気づいとるか」という祖母の言葉に、機能しなくなった身体で死後にどう死を自覚するのだろうか、と思った。 死を自覚するならば、死ぬ直前までのことだろうかと考える。生きている間にはそれを自覚することができるし誰かに伝えることもできるかもしれないが、死後には身体がなく誰かに伝えることができず、生きているものの知る由がない。 

 

枯れた花が家にあるより外にある方が、自然の中に溶けているような印象を受けた。似合っているというのはおかしいか。家の中にあれば捨てられるが自然の中にあれば循環していく。行き先がわかるというのは一つ、大事なことかもしれない。

小一時間程、勉強をして朝を始めるとこんなにも心地よいのだなと感じた。早起きをして勉強に取りかかれたのが久しぶりだった。

 

以前、自分の興味のある分野はどのような方面なのかを調べていた時に、解析基礎,物理数学あたりであるとわかった。そうなればその方向性で勉強しようと思い、興味の赴くままにする勉強とは別に微積分の勉強から始めた。

 

昨日から考えていたことだが、ここから一ヶ月程バイトを減らすか辞めるかをしようと思っている。京都へ来たのは学ぶためであったので、本来の目的のそれができていないのはよろしくない。(自己管理不足による生活リズムの乱れが大きいけれども、その要因がバイトの詰め込みで疲弊していたことだった)

 

数学はじめプログラミングや資格の勉強なども詰め込んでやりたい。

 

少し書籍を買うのを我慢すれば、一ヶ月はいけるだろうからその方針でやってみようと思う。

 

何だかずっと父のことが頭に余韻のように残っている。そういうものだろうか。

 

帰りのバスに乗っている中で、散文について書かれている文章に出会った。バスに乗る前、近くの書店で寺田寅彦の随筆集を買おうかどうか、悩んでいた。丁度その散文についての文章の中に寺田寅彦の随筆集が出てきたので買うことにした。またどこかで買おう。

 

向こうにいる間に随分と、これからについて考えていた。

バイトで疲れ帰ってきて、そのまま寝て起きてまたバイトというような状態が比較的多かったので、改めないといけない。

 

過ごしていてわかったのはとりあえず週二は休まないと、一週間分の家事を終えるだけで一日が終わるということだった。自分の時間を十分確保するためにも、週二休みは取れるようにしていこう。

 

そして何となく思い描いている構想を、実際に作っていかないとなと思った。そのための技術が自分には不足しまくっているので、もっと学ばないといけない。精進精進。

 

来年の春頃に住む場所も変え、もう少し学びやすい環境に身を置こうと考えている。