そこは彼となし

日記のようなもの

引っ越せた

強行突破な感じがあるけれど、とりあえず引越しを終えた。

 

京都の中でも一番住んでみたかった街の隣、それでもこの落ち着け様なので無理にではあったけれど移動をしてよかった。

 

本当に静かで空の音が聞こえる。鳥の声も聞こえる、時々畑にくるおばあちゃんの話し声も聞こえる。耳をそばたてるのにストレスがないのはとても大切なことだ。夜は風の音と震える窓の音がある。

 

お隣さんに挨拶をした方がいいのかわからなかったので調べたところ、一人暮らしの場合はむしろしないほうがいいらしいので大家さんにだけご挨拶をした。

 

 

本棚やクローゼット、机など解体して持ってきたので組み立て作業をぼちぼちやっている。1週間あれば終わると思うのでのんびりやって行こうと思う。

 

それにしても随分本を増やしてしまい、不要な本も出てきたのでこの機に売り払おうと思った。

メルカリやラクマのいいところはあのアプリ内でポイントを媒介して物の循環が行えることだなあと思う。あの仕組みはとても参考になる。

 

 

一ヶ月はバイトもやらずに行こうと思っていて、その中で魅せるの見せ方を少し学んで行こうと思う。

 

 

メモ

 

・一つの大きなヒントはサルバドール・ダリの中にある。「磔刑」、宗教とその批判、科学とその恐怖など。

図像学(イコノグラフィー)

・円錐曲線と次元、宇宙

・ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの二面性と彼の生活そして思考

・時間と光について

・世界を分けること、言語、意味と無意味さ

キリスト教と仏教

・幕末思想

ハイデガー、ハンス・ヨナス

・近代絵画

・江戸の教育

ダーウィニズム、文化進化論

約束

 

名は縛るものというけれどその中に約束がある。

私は名でひとつ約束をした。

 

そして自分はどうあることでそれをかなえられるかということを探している。

宮沢賢治の『告別』の光のパイプオルガンは一つの指標で、もう少しいくつかの指標が欲しい。

 

一度も語られなかった思いについていつか少しでも触れることができたらいいなと少しだけ期待を持ちながら探している。

 

僕らはリトルマリアに溺れた

 

マリアの首筋には白く黒い切れた線がある。僕は電線を見ていたはずだが朝に、気づいた時には日が暮れていて帳が落ち始めていた。急いで帰ろう。

 

家にいたはずの猫はどこへ行ったのだろうか。家族というのは本来の姿をとうに忘れていた。どうして周りが気体で満たされているのかわからない。

 

不安になったので浴槽に水を溜めて下着になって潜った。苦しくて涙が出たが周りは液体なので問題がない。音の反響は鈍くなる。見知らぬ影が何かを叫ぶがここには僕と水、そして容器しかないはずだ。消去。

 

本能は生を向いているので僕の唯一の敵だ。あいつを殺さないと僕は何も救われるところがない。

 

エスを抱いた穏やかな顔のマリアは像だが、これを作った人間はその顔を見て何を思ったのだろう。

 

上下左右灰色の空間に横たわっていた。奥行きがある、消失点は黒。

 

 

 

空腹を超えて気持ち悪くなりながら役場へ行き、帰る途中でパンを食べ、部屋に戻り少し糖分を補給したら次は一度に栄養補給をし過ぎて気持ちが悪くなっている。

 

また思考が散漫としているのでメモ書きをしたい。

 

 

・語源発生の年代を視覚化

・球体と枝で学問分野を視覚化

・言葉の収集

 

 

 

 

八引致九

 

人が多いな、と思った時にはすでに遅く人酔いで気持ちが悪くなっていた。今日は日曜日であったのをすっかり忘れてた。

バスもぎゅうぎゅう詰めで隣にいた小さな女の子が怯えた顔をしていた。折角の楽しい家族旅行なのにこんなにもたくさんの大人に囲まれてぎゅうぎゅうされてはそら怖いだろうなと思う。周りのスペースが少しでも広くなるように足を踏ん張ったりしていた。

 

物件をいくつか見てきた。やっぱりあちらはとても静かで街全体が落ち着いていた。田舎と都会の境目のようなところで少しの不便さは心地がいいものだと思う。

何より山が近いので空気が澄んでいる。花粉症の時期は辛いかもしれないけれど、京都市内にいるといたしかたない部分な気がする。

 

5つ見せてもらったうち2つ、いいなと思う物件だった。

ひとつは猫のような暮らしができそうな感じの物件で、建物自体が物語に出てきそうな面白い構造をしていた。南向きで日当たり良好。窓を開けると小さな草原と林、古びた狭いウッドデッキ。玄関を出て少し覗くと竹薮がある。難点といえば夏には大きめなクモと格闘しなければいけないのが確実であること、簡易風呂がキッチンスペースにあるので怠惰人間にはあまりよくないかもしれないことなど。

もうひとつは最初に問い合わせた物件で、ここもとても静かな場所だった。窓を開けると手前に畑、おばあちゃんの話し声が聞こえて微笑ましかった。玄関を出ると目の前にお寺、奥には平屋の建物の屋根の連なりが見えた。少し驚いたけれど、この時南の空にきれいな薄明光線が出ていた。

難点は日照時間があまり長くはないこと、2階へ上がる階段がかなり危なっかしい(単に階段が苦手)くらい。

 

 

スーパーが遠いなどは慣れているしAmazonがあるし、通勤時間も1時間いまもかかっているのでそんなに気にしていない。

むしろ帰り道にちょっとぼーっとしながらふらふら歩ける方がありがたい。

 

 

帰りにも薄明光線がまだあった。

今日はとてもきれいな雲の配置でとても好きな空だった。

 

あと数年経って空き家が増えた頃に格安物件が出てこないかな、などと思っている。その頃には車の免許をとって、行動範囲を広げられるようにしておけばさらに田舎でも住むことができる。

一番の願いとしては住所不定が続くことなんだけれど、いまのところ定住しないといけない。

 

 

お仕事はとりあえず新しいところを探そうと思っている。週2-3で今と同じくらい稼げればいいかな、と思う。いまの状態だと急な出費にはほとんど耐えることができないし、貯金と言ってもいつの間にか本に変わっているので(貯金をするための何かも特にないので余計に)、もう少し改善したいなと思うのだけれどそれも随分と先の長い話だ。

 

 

 

昨日母が、いま何を思い出してもほとんどが楽しいものだ、と言っていた。

やっとこの時が来たか、と思った。遅かったか早かったかは特に気にする必要はなくて、それは遅かったし早かったからなんだけれど。

 

 

脱字:関わるものを静思してる

 

彼女さんが隣におらず、父一人の運転であれば確実に助かっていただろう、と、私もそう思う。

だけれどそういう状況で起きたことは変わることはないので、そういうことだったんだろう。

そう落ち着けることはなんというか、とてもすごいことなんだと思う。

 

本当に愛していた人、思いあっていた人が互いを貶し貶めるまでになって、大切なものはどんどん傷ついて行き、だから単純に母が不倫相手の女性を許すというか許容することにこの時間を経ることに、早いなと思った。

それと同時かそれ以上のスピードで父をおそらくずっと前に愛していたときの感覚に戻っていることに少し驚いた。

だから許すとかそういう言葉では正しくない。

 

 

死ぬとそれはそこにいた時よりも中に存在するのはおそらく確からしい。

自分の死に関しては果実の中のようだけれど、他の死に関してはまた別かまたは似たような場所の裡にあるらしい。

 

 

 

 

自分勝手に生きて来た、と母はいったが、そんなのみんな割合が異なるだけで自己本位で生きている。それと同じく他者本位も持ち合わせているのだから、やはりその割合が変化するのだろう。

何色をどこまで混ぜるか、意図的に混ぜることのできる範囲とその制御が利かない範囲がある、それはだいたいどの辺りだろう、みたいなことを考える。